こだわりのいっぴん

初代永弘の甥、永桶昭二さんの鉋


今では鉋を造る人と鑿を作る人は別れていますが、二代永弘さんを取材した時に話を聞いて、昔は同じ職人さんが鉋も鑿も造っていたことを知りました。二代永弘さんの取材記はこちらからご覧頂けます。

当社の永年の取引先で「菊弘丸」という鑿の鍛冶屋さんがおられて切味で定評があります。
今のご主人は永桶昭二さんと言い、初代永弘の甥に当り、鑿の他に青紙を使った鉋も造っておられました。
私は鑿で白紙を使っておられますので、白紙の焼き入れに慣れておられると思い白紙の鉋が出来ないかと お尋ねしました。
そうしたら、なんと、「最近、白紙1号の材料を入手しましたのでそれで鉋を1枚造ってみしまた。」と言われます。 その白紙の鋼を見せてもらおうと思ったのですが、サブロク(3尺×6尺)で大きな板だとのことで果たせませんでした。厚みが2分(6ミリ)あるものを叩いて薄くしますのでよく鍛えられることになります。
早速、それを購入して来ましたのでご紹介します。

その前に、この「菊弘丸」の系譜についてご説明します。
初代永弘が特殊鋼を使って鉋を造って切味で評価を取ったこと、初代初弘はその弟子であることはあまりにも有名ですからご存知と思いますが、初代永弘の米太郎の弟で菊次という方がいて初代と一緒に仕事をしておられました。
米太郎はやがて鑿の製造をこの菊次に任せるようになり、菊次が独立する時に鑿の部門をそっくり譲ります。
それで誕生したのがこの「菊弘丸」の鑿なのです。

そして、この菊次に三人の息子さんがおり、長男の昭二さんが跡を継ぎますが、同じ鑿鍛冶の修行をした次男啓三郎さんは「敬壽」という銘で鑿鍛冶として独立し、これも切味で評価を貰っていました。(但し、敬三郎さんは最近、健康上の関係から廃業されたそうです)
そして、三男の金次郎さんは三条鋸の名門伊之助に弟子入りして「中屋深水」銘の本職用の鋸職人になります。
当社は特に金次郎さんとも懇意にしてこの鋸を販売し、良く切れて目立てがし易いかったので一時は当社の主力商品だったのですが、その後の替刃式鋸の出現で古来の両刃鋸が使われなくなったのは大変残念なことです。
かねて、この鋸の焼き入れについて兄の昭二さんからヒントを貰ったので良い焼入れが出来たと聞いていました。

という訳で、永桶さん一家は初代永弘からの伝統を引き継いだ大工道具の職人一家なのです。
今回、この件でお伺いした時にも鋼の処理には絶対の自信があることを念押ししておられました。
次が、お伺いした時に撮影した昭二さんと息子さんの和良さんで、最近は和良さんが仕事を覚えられましたので次の世代にも伝統が続くことになります。

次が、永桶昭二さんが初めて造った白紙の鉋の銘です。


次をクリックすると鉋刃と共裏の裏金の裏と表がご覧い頂けます。
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次は菊弘丸の製造品の全品の写真で工場の入り口に飾られている陳列棚です。


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