こだわりのいっぴん

名門の初弘


初代「初弘」は星野三吉と言い、初代永弘の弟子でしたが、永弘が洋鉄のバイト鋼で成功したのと正反対に日本古来の玉鋼を鍛えて大成功します。
そして、日立製作所の安来製綱所が初弘の使っていた玉鋼に似たものを、現代の工場生産で造れる最も近い材質で商品化したのが、白紙といわれています。

母がよく話をしていましたが、初代はお酒が大好きだったとのことで、うちへ納品に来ると、いつもお酒を出してもてなしたそうです。
私自身はご本人にお会いした記憶はないのですが、家族内ではいつも「サンきっつぁ」とお呼びしていました。

初代は子供が無く、実家の甥が養子に入っていましたが、他にも甥が二人弟子に入っていました。
養子に入った子が跡を継ぐはづだったのですが、初代と仲違いして独立したため、弟子になっていた兄の文作が二代目を継ぐことなります。
この二代目とは度々お会いしたことがあり、鋼はその後、青紙を使うようになったとご本人から直接お聞きしています。

二代が「白紙より青紙の方が良い。」と言われたのは覚えているのですが、当時、私が若かったために、何故白紙より青紙が良いのか詳しい話を聞かなかったのが、今になって残念に思っています。

最近、お客様から二代目の作った鉋をお世話して頂き、左がその写真で、右の三枚は初弘製作所で所蔵している三代に渡る作品です。
いずれもクリックしていただくと大きな画像がご覧いただけます。

なお、初代に弟子入りしていた三作の弟巳代治は佐藤家に養子に入って、やはり鉋鍛冶となり、自身の銘では「伝寿」と切りましたが、当社ではこの鉋に最高級品に打つ登録商標である恵比寿印と、次いで高級品に打つ大納言印を打って、当社の最高クラスの鉋として販売していました。

上の写真の初代の鉋は佐藤巳代治さんが所持していたものを初弘製作所に差し上げたものですし、三代目の鉋は佐藤さんが指導に入ってから代作したものだそうです。

三代目初弘の話では、父(二代目)は弟子が沢山いたが、火造りと焼き入れは必ず自分がして、他の仕事は弟子に任せていたが、叔父さんは全ての工程を自分一人でしていたので、細かいところまで気を使った素晴らしい作品だったと言っていました。

実際に、最近になって昔のお得意さんから恵比寿の鉋がないかと問合せを受けた事があります。
実は、佐藤さんが商売を辞める時に、残っていた材料で当社の恵比寿を打って持って来られた鉋を購入したものが、今でも二三枚残っています。
他の鉋鍛冶に見せると、その仕事の素晴らしさに誰もが驚嘆して、絶賛する作品です。
その恵比寿印の鉋についての詳しい情報をご覧いただけます。

三代目は、お父さんの二代が突然亡くなったため、鉋の仕事を教わったのはこの叔父さんからだったとのことです。
この件については、次のページに詳しく説明しています。「佐藤さんの話その2 仕上げ直し品」でご覧下さい。
なお、三代目の文一郎さんは私の同級生でした。


初弘の鉋の中の最高級品「磨き初弘」で、鋼はスェーデン鋼を使っているとの事です。
「完全直ぐ使い」になっていますので箱から出して刃を出したら直ぐ使えます。(写真の鉋屑はこの鉋で出したものです)


切り刃の拡大写真です。(黒く胡麻状の隙間があるのは、この生鉄が研ぎ易い「生地」を使っているからです。)

磨き初弘白樫油台代入完全直使い70ミリの価格はお問合せ下さい。
「完全直使い」とは台入れ屋さんに特別に頼んで自分が使う鉋と同じに手研ぎで合砥で研いで、箱から出したら直使えるようにしてあるものです。

お問い合わせとご注文はこちらへメールでお願いします。

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