こだわりのいっぴん

恵比寿の鉋

恵比寿印の鉋を造られた佐藤さんの話

今日(14/5/26)、久しぶりに佐藤さんにお電話して、お尋ねしました。

「自分は初代初弘で修行していましたが、独立する前の勤めていた頃から、お宅の恵比寿印と大納言印の鉋を打たせてもらっていました。
当時の初弘は、普通品が白紙、三角印が青紙一号、磨きが東郷鋼を使っていました。
白紙は焼入れなどの温度管理を旨くやれば、すごく切れるのですが、許容範囲が狭いため管理が難しかった事と、焼きが均一に入らず雲が出来るために処理の難しい鋼でした。自分は、戦後に独立したのですが、当時は材料のない時代で、散々探してようやく手に入った白紙二号を使って造りました。(前に、青紙二号と書いていましたが聞き違えで白紙だったそうです18/1/18記)
それを職人さんから使ってもらって、評価を聞きたいと思って鉋の台入れ屋さんに使ってもらいましたが、とても良く切れると言って気に入ってもらって、その方は、研ぎ減って短くなり、台に潜るくらいまで使っておられました。
『そんな短い鉋を使うのをやめなさいよ。』と言って、代わりに青紙一号で造ったのを納めたのですが、それよりも、前の方が良く切れたと言っておられました。」

この話から、白紙を上手に使うと良く切れることが解ると思います。
ですから、今、さまざまな新しい鋼を使った鉋がありますが、問題は、職人さんがその鋼をどれだけ使いこなしているかが問題だと思っています。
例えば、名工の某さんでもスーパー鋼を使い始めた時には、使いこなせなくて評判を落としましたね、などの噂を聞きますし、使い慣れて熟練した鋼の性能を最大限に引き出した時にこそ、素晴らしい切れ味を出せるものと思っています。
佐藤さんはその後は、青紙一号を使っておられたそうです。
   18/1/16に再度お伺いした時にお聞きした話を追加します。
  終戦後しばらくしてからのことだそうです。当時、関東屋という鉄鋼問屋があり、そこで時々鋼を
  購入しておられたとのことです。ある時、白紙の材料が沢山入荷したが、鉋鍛冶に売ると返品になる、
  と言われて白紙鋼が山にしてあったそうです。
  ところが、初代初弘が来た時に、その話をしたら「俺はそんな鋼が大好きだ。」と言って全部購入
  していかれたとのことでした。
  ということは、初弘は白紙を使うことに自信があったことですね、と私が言いましたら、そうです
  とのことでした。    
  また、戦前には磨き初弘に使っていた東郷零号はスウェーデン鋼で、5分角のものを大鎚で叩いて
  伸ばしており、その工程が大変だったこと、値段は青紙の三角印初弘の二倍以上だったとのことです。
「二代目初弘が癌の宣告を受けた時、三代目はドロップ鍛造を仕事にしていたので、まだ鉋を造ったことがなかったのです。それで私に初弘に入って教えて欲しいと頼んで来ましたので、貴方のお父さんに相談に行ったところ、『佐藤さん、貴方が自分で鍛冶をしていても精々後5年ほどでしょう。初弘をなくす訳に行かないのだかから、初弘に行って教えて上げたらどうですか。』と言われたのです。
今から24年程前に、自分の商売をやめて初弘に行ったわけですが、それは貴方のお父さんに相談したらそう言われたからなんですよ。」とのことでした。
現在の三代目初弘は、そんな訳で佐藤さんから指導を受けたことから、佐藤さんが如何に鉋に熟練した人か良く解っているのです。

「初弘に標本として初代、二代、三代の作品が陳列してありますが、その初代のものは自分が持っていた短くなった物を初弘に上げたものですし、三代のものは私が造ったものです。」
「私が居た時には磨きも青紙一号で造っていましたが、厚い鋼を鍛えて薄くして使っていました。そうそう、私が辞める頃にスウェーデン鋼が届きましたので、その後はそれを使っていると思います。」

このことを今の初弘に聞いたのですが「二代の時、厚さ3ミリくらいの青紙を鍛造して〆めて使っていたところ、ある時、日立が薄手に仕立てた鋼を持って来て、これを使えば鍛造工程が省けると言って来ました。念のために使って見たところ、仕上げると鋼の艶が違うのす。二代は、これでは切れ味も悪くなるからと言って使用を断わりまして、以後、今までと同じに手間を掛けて厚手のものから鍛えて薄くして使って来ました。今は磨きだけスウェーデン鋼を使っていますが、これは私が選んだものです。」とのことでした。
この話からも解るように、同じ青紙でも差があり使う職人さんの考え方で、これだけの差があるのです。

なお、佐藤さんが青紙二号(これは私の聞き違いで白紙二号が正しい)の鉋を使ってもらった台入れ屋さんは樋口さん(故人)と言い、今でも人気のある東源氏の鉋を創作する時にヒントを出されて台入れを担当なさった方です。当時、樋口さんを訪ねて、その当時のことについて話をお聞きしたことがありました。(東源氏はその後、鉋鍛冶も台入れ屋さんも代わったそうです)

恵比寿の鉋は青紙一号です。

佐藤さんは、今日のお話では83歳とのことでした。


私の祖父が金物問屋に奉公してから独立した時に、商売の神様として「恵比寿印」で登録商標を取り、以来、当社の最高級の商品に打っています。
左の寸八(70ミリ)と思っていたら、二寸(75ミリ)でした。
実は6枚あったのですが、15/5/9長野県のお客さんがお弟子さんの時、今は亡くなられた親方が「恵比寿の鉋は切れるというのを聞いたことがありまして」とおっしゃって最後の1枚をお求めになりましたので、全て売り切れました。

当社の昔のカタログで、当時、これだけの登録商標を持っていました。

「三条町」と書いてありますから、「市」になる前で、昭和10年代前半頃のものと思います。
トレードマーク・登録商標の真中に恵比寿のお面があります。

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